ぼくとたいわん

新年あけましておめでとうございます。ゆくゆん日台翻事務所のろこもこと申します。

この文章をご覧になっているほとんどの方が、はじめましての方だと思います。

インターネットの海の膨大な文章の中から、ぼくの文章を目に留めていただきありがとうございます。

ゆくゆん日台翻訳事務所では、日本語と中国語の相互翻訳サービスを提供しております。

中国語については台湾を専門としており、高品質な台湾華語(台湾で話されている中国語)と日本語の相互翻訳を提供できることを強みとしております。

このようなサービスを提供するに至るまで、実に6年の歳月がかかりました。

2017年9月2日、服とパソコンだけが入った少し軽いスーツケースを片手に桃園国際空港に降り立ったときのことは、今でも昨日のことのように思い出せます。

今日は2023年1月1日。あれから5年と121日、思えば数多くの人と出会い、別れ、まあまあ波乱万丈の月日を送ってきました。

今回は新年1発目の投稿として、ぼくが台湾を知ったきっかけから現在に至るまでを軽く振り返ってみようと思います。

自分語り100%の文章なので、特に読者の皆様に有益な情報はありませんが……まあ酒の肴にでもしていただければ幸いです。

父親も母親も純日本人、東京の普通の家庭に生まれた一般人のぼくは、いかにして台湾を知り、台湾に足を踏み入れたのでしょうか。

きっかけは趣味のパソコンいじり

人生で初めて触ったパソコンは、NECの98MULTi CanBeであったように記憶しています。

Windows 3.1が搭載された一体型パソコンで、今思えば重い遅いうるさいの3点揃い踏み、それでも幼いころにドラえもんのゲームをして楽しく遊んでいました。

幼少期からパソコンが身近にある家庭で育ったため、年を重ねるにつれて興味は自然とパソコンへ。小学生の頃には既にハードオフさんのジャンクコーナーに入り浸るやべえやつでした。中古のパソコンを買ってきては魔改造修理して整備することをガキンチョのライフワークにしているうちに、何度も目に留まるメーカー名がいくつか出てきました。

ASUS、Acer(昔はAceRと書いてましたっけ)、MSI、GigabyteにBIOSTAR…よく見るとどれも沖縄の隣の小さな島の会社なんですよね。どうやら台湾という名前のところなんだとか。

もちろん、台湾という名前を知ったところで当時10歳かそこらのガキンチョには何の影響もありません。中国と台湾の分別もつかないままパソコンいじりに明け暮れる日々を送っていたのでした。

ちなみにパソコンいじりの趣味は今日に至るまで健在です。年を重ねるごとに変態度がアップしております。

最近は手元のLenovo G50-30(Intel Celeron N2840, 4GB RAM, 128GB SSD ROM)という化石ノートパソコンにantiXというLinuxをインストールして第一線復帰を目論んでいます。わかる人にはわかるはず。

東日本大震災に遭ったときのこと

2011年3月11日14時46分、当時中学校2年生だったぼくは6時間目の家庭科の授業を受けていました。

当時は学校にSHARPのBrainという電子辞書を持って行っていたのですが、これがWindows CEという機能限定版のWindowsが動くシロモノでして、少し手を加えてゲームを動かせるようにして授業中にゲームをしていた不真面目クソ野郎でした。

いつも通り電子辞書で遊んでいると、ぐらぐらっと揺れが来て大騒ぎに。ちょうど調理実習の課程を数週間前に終わらせており、栄養学の講義に移っていたため火災にならなかったのが幸いでした。

揺れが収まったら校庭に集まって集団下校。その後しばらく学校は休校になったように記憶しています。

原発の爆発騒ぎもあって外に出ることもままならない中、計画停電の合間を縫ってパソコンで情報収集を試みていました。

主な情報源は当時ニコニコ生放送で中継されていたNHK総合テレビと、それに重なるコメントの数々。当時の中高生に人気だったアメーバピグの広場では、東北で被災された方から深刻な被害の様子がどんどん流れてきていました。

そんな中、ニュースの新着欄には……

「台湾から支援物資が到着」

「台湾の援助隊が被災地入り」

「台湾のチャリティー番組に寄せられた寄付金が24億円を突破」

「台湾全土からの寄付金が140億円に」

ここで再び台湾の登場です。

気になってWikipediaを覗いてみたところ、台湾と中国は別の国であること※1、世界でも有数の親日国であること、そして日本が台湾を統治していた時代があったことなどを初めて知りました。

台湾の写真を見ているとまるでパラレルワールドのようで※2、一度旅行に行ってみたいなーと思うようになったのでした。あとタピオカめっちゃうまそう※3

※1 この定義についてはさまざまな見解があるかと思います。後日詳しく紹介しますのでお楽しみに!
※2 実際に漫画家のやしろあずきさんが台湾旅行に行かれた際の写真を使ってパラレルワールド系の釣りスレを2ちゃんねるに建てられていたようです。(リンク)
※3 2011年当時、タピオカミルクティーはまだまだ外国の飲み物という扱い。今はちゃっかり日本のスイーツの仲間入りを果たしましたね。

はじめての台湾旅行

2015年11月27日、成田空港14時35分発の中華航空101便に乗ってはじめての台湾旅行に旅立ちました。

アメリカに次ぐ2か国目となる海外でしたが、当時のぼくは你好と謝謝しか中国語がわからない状態。飛行機の中で事前に用意したまっぷるを読みながら、ここへ行こうあそこへ行こうと未知の国に期待を高まらせていました。

はじめての台湾は何もかもが新鮮そのもの。桃園駅のマクドナルドで言葉が通じず(多分ぼくの下手くそな英語のせいです)、なぜか出てきたフィレオフィッシュとポテトとコカコーラを困惑しながら食べたことを今でも覚えています。

観光は台北101、九份老街、艋舺龍山寺、鼎泰豐そして士林夜市と定番中のド定番。それでも全てが初めての経験でメチャクチャに楽しい海外旅行でした。

旅行中は台湾の皆さんとは英語でしか会話できませんでしたが、かなりの数の店員さんが日本語を話されていてこれもまた驚愕でした。道端でまっぷるを広げていたら道を教えてくれたお兄さんまでもが日本語ペラペラで甚く感動しました。

東京のどこにでもいる普通の高校生が、なぜ台湾に留学したのか

台湾を満喫して帰ってきた2015年11月、ぼくは高校3年生。受験も間近ということで、都内のいくつかの大学の国際社会学部や外国語学部などを進路として考えていました。

毎月の模試も気分次第でほどほどに受け、大学説明会にも顔を出し、このまま行けば2016年4月にはどこかしらの大学で普通の大学生になっているはずでした。

ところが、2016年3月には進路未確定状態で高校を卒業し、翌年の2017年9月に台湾の大学へと進学することになります。

ぼくが受験寸前で大どんでん返しを起こした経緯について、少し思い出してみました。当時の担任の先生には大変ご迷惑をおかけしました……。

1. 人と違うことがやりたかった

小さいころから、人と違うことがやりたい人間でした。ポケモンは赤より緑、プレステよりセガサターン、iPhoneよりAndroid……

そんな人間が進路選択にブチ当たると、誰も考えないような進路を取ってやろうと考えるのはある意味では自明の理かもしれません。

海外の大学への本科生としての入学は、考えていないわけではありませんでした。

しかし、当時のぼくは英語は高校2年生の夏にホームステイした先でホストブラザーと下ネタで盛り上がった程度、中国語は全く話せない状態であったため、何から手を付けたらよいのかすらわからなかったのです。

そんな中、台湾に旅行に行ってみて「ここなら生きていける気がする」と謎の自信を持つようになりました。若いっていいですね。

詰まるところ最終的には、言葉がわからない知らない国で一人で生きていくという恐怖に、こじらせていた中二病と生来の見栄っ張りの性格が勝ったわけです。

2. 繁体字がエモい

これも中二病ここに極まれりという感じでしかありませんが、繁体字ってエモいんですよね。体のこと體って書くんですよ。骨が豊かで體なんですよ。すごいでしょ。

中学生の頃に日本の旧字体の魅力に憑りつかれてしまったぼくは、高校生の頃には自力で旧字体を暗記して授業の筆記を旧字体で書くようになっていました。

「ノート貸して!」って言われて貸した相手にはもれなくドン引きされる、恐怖のノートの完成です。

そんなぼくにとって、旧字体(繁体字)が現役バリバリで用いられている台湾や香港、澳門などは、まさに夢のような世界でした。

3. メシがうまい

はじめて食べた魯肉飯(ルーローハン)、豆花(トウファ)、雪花冰(台湾かき氷)、そしてはじめて飲んだタピオカミルクティー、これはもう一発で惚れ込んでしまいました。

台湾料理ってとにかく美味いんです。特に最初のうちはめちゃくちゃ美味いんです。

6年も住んでいるとまあ台湾料理の気分だったりそうでなかったり日によって色々あるのですが…笑

そして留学へ、現在に至るまで

そんなこんなで、2015年の暮れには東京都の台湾の大学に進学したい高校生を専門とする語学学校の説明会に参加し、台湾の大学に進学する決意を固めたのでした。

とはいえ一応、センター試験も受けました。やおいとか二次創作とかその辺で盛り上がったあの回です。

2016年4月からは語学学校に入校。台湾人の先生方にビシバシしごかれつつ1年半、2017年9月に台湾の彰化という小さな街にある國立彰化師範大學へと進学しました。

その後、2021年6月に晴れて学位を取得し卒業、2021年9月には台南の國立成功大學の修士課程へと進学し現在に至ります。

この6年間は一体どういう思いで過ごしてきたのか、最後に少し振り返ってみたいと思います。

1. 中国語に慣れるのに必要な期間は3年

語学学校の先生の話す内容はほとんど理解できるようになり、学内テストも堂々の全国1位。

もう怖いものは何もないと意気揚々に台湾へと踏み込んだ結果、初日でスーパーマーケットの店員さんの「会員カードはお持ちですか?」が聞き取れませんでした。

語学学校で中国語の基礎は固められても、いざ外に出たらそこはもう「生きた中国語」の世界。語学学校で教わった中国語は氷山の一角であったことを痛感しました。

最初は近所の食堂でご飯を頼むのも一苦労、学友と会話するのも愛想笑いで精いっぱい。これが現実です。

幸い、ぼくが出会った台湾の方々は優しい方ばかりで、ぼくが聞き取れないと根気強く何度も繰り返してくれたり、ぼくの拙い発音をどうにか聞き取ろうと苦心してくれました。

そんな環境下で少しずつ「生きた中国語」を手に入れてゆき、台湾の方から「話していて日本人だと気づかなかった」と言ってもらえるようになるまでかかった期間は約3年。

もちろん、ぼくよりもっと飲み込みの早い方なら1年、2年でも充分に生きた中国語を体得できると思います。それでも、最初の挫折はきっと避けては通れないはずです。

そして「話していて日本人だと気づかなかった」と言われるようになってからが、本当の中国語学習のはじまりなのです。

生きた中国語は、毎日刻一刻と進化してゆきます。特に翻訳を生業とさせていただくからには、常に最新の中国語を頭に入れておかなければいけません。

言語は学べば一生モノといいますが、それは同時に言語の学びは一生続くことを意味しているのかもしれません。

2. 台湾が好きな時期、台湾が嫌いな時期

世界有数の親日国で南国特有ののんびりとした空気も流れる台湾は、多くの日本人からも好かれています。

ぼくも渡台当時、台湾が大好きで大好きでたまらない台湾ファンのひとりでした。毎日台湾グルメに舌鼓を打ち、野良犬野良猫に癒され、台湾の方々との会話を楽しみ……

そんな順風満帆に思えた台湾生活も、いつまでも続くわけではありませんでした。

どこの国にも、等しく良い人と悪い人がいます。あなたを貶めようとする人も、あなたを騙そうとする人も、あなたに敵意を向ける人も、必ず存在するといっても過言ではありません。他人に対する当たり方がきつい人も、たまたま虫の居所が悪い人も、必ず存在します。

特に台湾はその歴史上、日本人に対して良い感情を抱いていない方も一定数いらっしゃいます※4。日本人もしくは外国人を差別する思想の方も中にはいらっしゃいます。

この事実は、ノリと勢いで海外留学してしまった脳内お花畑人間にはかなりの衝撃でした。

たまたまそのような方々との衝突が連続して起こってしまう時期もありました。日本人のくせに偉そうにとまで言われ、他人と言い争いをするために中国語を学んだわけではないのに……と自己嫌悪に陥る日々もありました。

そんな辛い経験も、時間が経つうちに、台湾人の大多数を占める優しい方々との交流を重ねるうちに、少しずつ記憶の彼方へと埋まってゆきました。

今でも、毎日ハッピーに生きているわけではありません。強い言い方をされてしまう場面や、逆にこちらが強い言い方をせざるを得ない場面にもときどき遭遇します。

しかし、日本にいてもどこの国にいても、人との関わりで一度も嫌な思いをせずに生きてゆくのは不可能なのではないか、ということに気づきました。

目の前の人の態度と国籍を安易にくくらず、自分の芯を大切に生きてゆくことが、異国で生き残るコツではないかと思っています。

とはいえ、もちろん相手が人間ならぼくも人間なので、こんな教科書的な考え方で腑に落ちないときもありますよね。そんなときはもう酒でも飲んで気の置けない友達にぐちぐちと愚痴ってさっさと寝るのが一番です。

※4 日本統治時代に台湾人が二等国民として一定の差別を受けていたことは、日本統治時代肯定派のぼくでも疑いようのない事実です。ほかにも日本人との衝突を通じて、日本に負の感情を抱くようになってしまった台湾の方は一定数いらっしゃることを忘れてはいけないと思います。

3. 気がついたら全県制覇してました

紆余曲折もありましたが、それなりに満喫している台湾生活も早6年目に突入。

ぼくは趣味でバイクに乗っているので、暇さえあれば家を飛び出してあちらこちらにバイクを走らせていました。

馬鹿と煙は高いところが好きと言われていますが、諺に違いなくバイクで山を攻めて頂上で一息つくのがいつものパターンでした。

2020年2月には台湾島をバイクで10日間かけて一周し、台湾の全県を制覇※5。2020年7月には台湾島を東西に貫く最高3,275メートルの中部橫貫公路を走破。

ほかにも台湾最高峰の玉山(新高山)の麓にある標高2,610メートルの塔塔加遊客中心(タタカ観光案内所)までバイクで乗り付けたり、南投の秘境・東埔溫泉(トンボ温泉)の秘湯を楽しんだりと、平均的な留学生よりは台湾を縦横無尽に駆け回ってきた矜持があります。

台湾近海の離島も、2020年1月に小琉球(琉球嶼)、2020年4月に金門と馬祖、2021年1月に澎湖、2022年3月に蘭嶼(紅頭嶼)、綠島(火燒島)と、ほとんど制覇してしまいました。

台湾での生活は正直しんどいときもありましたが、根本的に好きでなければここまでの旅行はできませんよね。

次はどこに行こうか考え中です。基隆から馬祖まで夜行フェリーが出ているらしいので、今度はそれに乗ってみようかな。いずれレポートしたいと思っているので乞うご期待です!

※5 台湾の行政区画は、13個の縣(県)と6個の直轄市に分かれています。もちろん全て踏破済みです。

そんなこんなで今日も台湾で生きてます

ということで、ぼくが台湾という国を知ってから、実際に暮らしてみて思ったことまでを書いてみました。

振り返ると、たまたま進学先として選んだのが台湾だっただけなんですよね。これがもし中国だったら、韓国だったら、はたまたアメリカだったら、ぼくの人生は今とは全く違うものになっていたことでしょう。

結局、台湾に来て正解だったのかどうかは、正直まだわかりません。これから先の人生設計も、正直ほとんどありません。

人混みに流されて変わってゆくのかどうかどうかもわかりませんが、ぼくは今日もこの島でそれなりに元気に生きてます。先日交通違反の車にバイクごと吹っ飛ばされましたがまだまだ元気です。

本当に100%混じりっ気なしの自分語りとなってしまいましたが、海外留学している人間は脳内でどんなことを考えているのか、気になっている方に届けばいいなと思っています。

次回以降は、台湾のマメ知識や中国語のトリビア、6年にわたり台湾中を飛び回った記録などを載せられたらと思っています。翻訳業とはあまり関係のない内容が多くなるかもしれません。

ここまで長いことご覧いただき、ありがとうございました!ブログの更新はSNSでもお知らせしますので、ぜひ以下のアイコンからフォローしていただけると幸いです。

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編集後記

スタバでブラックコーヒーを飲んだらおしっこが止まらなくなりました。この記事の執筆中に6回くらいトイレ行ってます。

果たしてここまで読んでくれた物好きな読者さんはどのくらいいらっしゃるのでしょうか。読んでくれてたら読んだよ!ってコメント欄かSNSで反応くれたら嬉しいです。中の人めっちゃ喜びます。

文字数を計算したら6,992文字になってしまいました。昔ライターをやっていた名残の職業病で文字数が3,000文字を超えると記事を2つに分けたくなりますが今回は何とか1記事に押し込みました。新年一発目にカロリーの高い文章を書いたのできっとぼくの体重は少し落ちてるはず。

さて、お腹が空いたのでTSモールの金子半之助で天丼でも食べてきます。皆様にとって今年もよい一年となりますように!

2023年1月1日 スターバックスコーヒー永康店にて

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